<第四回>2009.4.

第一回  クリスマス・オラトリオ (J.S.バッハ) 第七回   W.A.モーツァルトと旅 2
第二回  ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」Op.125 第八回   W.A.モーツァルトと旅 3
第三回  新日本フィルハーモニーのハイドン・プロジェクト 第九回   ヘンデルとオラトリオ
第四回  歌曲集「冬の旅」(F.シューベルト) 第十回   モーツァルトと短調の曲
第五回  オペラの演出について 第十一回  モーツァルトと長調の曲
第六回  W.A.モーツァルトと旅 1 第十二回  ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲


〔第1回〕


〔第2回〕


〔第3回〕


〔第4回〕


〔第5回〕


〔第6回〕



〔第7回〕


〔第8回〕


〔第9回〕


〔第10回〕


〔第11回〕


〔第12回〕


〔第13回〕


〔第14回〕


〔第15回〕


〔第16回〕


〔第17回〕


〔第18回〕



〔第19回〕


〔第20回〕


〔第21回〕


〔第22回〕


〔第23回〕


〔第24回〕

歌曲集「冬の旅」(F.シューベルト)

 今回は私事ですが、4月26日(日)のリサイタルで歌曲集「冬の旅」を歌いますので、この作品への雑感を述べさせていただきます。

 シューベルトの生涯および作品については、他の機会に譲ることとして、今回は主に「冬の旅」について書くことにします。

 ドイツ歌曲の歴史は、モーツァルト、ベートーヴェンに芸術歌曲としての作品が生まれた。二人の天才作曲家にとって歌曲は、彼らの作品において主なジャンルではなかったが、これまでにない音楽と詩・言葉が、深く結びつくような作品が、数は少ないが生まれてきた。その上に「歌曲の王」F.シューベルトが、ドイツ歌曲を揺るぎないものとした。最初の歌曲「ハガルの嘆き」が、14歳の時に作曲され、31歳で亡くなるまでの17年間に600曲を越える歌曲を残した。それらは、今までにない珠玉の歌曲で溢れている。

 さて、死の前年に完成された歌曲集「冬の旅」は、言うまでもなく音楽史上まれにみる傑作である。4年前に完成したシューベルトのもう一つの歌曲集「美しい水車屋の娘」と同じW.ミュラーの同名の連作詩集に作曲された。ミュラーのこの叙情味溢れる二つの詩集だが、異なった内容を持っている。「美しい水車屋の娘」は、粉ひき職人の青年が、修行の場を求め旅に出て、とある水車小屋にたどり着く、その水車屋の親方の娘に恋をするが、恋敵の狩人が現れ、最期は旅立ちからの友である澄んだ流れの小川に抱かれて、安らかに永遠の眠りに就く。この詩の背景は、爽やかな自然、明るい太陽、緑の森と草原、清らかな小川の流れ可憐な草花、小鳥のさえずり、静かな夜と空にくっきりと浮かぶ月等をみずみずしい言葉が彩っている。これとは対照的に「冬の旅」は、初めから失恋した男が雪の荒野に旅立つところから始まる。背景は、雪の荒野、どんよりとした灰色の空、吹雪、凍った川、冷たい風、、鴉(死の象徴)、モノトーンの世界。夢・希望・永遠の安らぎ(死)からも拒絶された主人公、そして、主人公の素性も明らかでない。「水車屋の娘」のような物語性もなく、24篇の詩がその時々の心象を映し出している。

 歌曲集「冬の旅」の完成が、彼の死の前年と言うこともあり、浄書された最終稿が存在せず、あまり読み易いと言えない下書きの自筆譜しか残されていない。じっくり推敲を重ねての創作ではなく、音楽が溢れるままに作曲されており、歌詞の誤りがあったりする。

 また、シューベルトは、18272月に詩集「冬の旅」12篇の作曲を開始する。12曲の完成後、ミュラーが更に12の詩を加え、詩の順番も入れ替えた24篇の詩集の存在を知り、182710月から残りの12曲を作曲した。ミュラーが入れ替えた詩の作曲していない12の詩を順番に作曲した。但し、22曲「勇気」と23曲「幻の太陽」はシューベルトが入れ替えをしているが、理由は不明である。想像するならば、最後の24曲「辻音楽師」への流れからと考えられる。

 歌曲集「冬の旅」は、時代と共に様々なアプローチがなされてきた。私が「冬の旅」に出会ってから40年以上になるが、その間だけでも演奏のスタイルも変化し、いろいろな解釈があった。1960年代にはH. ホッターとD.フィッシャー=ディースカウの二人の演奏に好みが分かれていた。この詩集の暗い趣きに、より似つかわしいH.ホッターのバスバリトンの深く落ち着いた、暖く包み込むような演奏と、フィッシャー=ディースカウのリリックなバリトンで、完璧と言えるほどの発声法によるドイツ語の美しさを出した抒情的な「冬の旅」が両極をなしていた。また、当時我が国に関係の深かったバリトンのG.ヒッシュの演奏も多くのファンを持っていた。彼のレコードは、1933年録音のSP盤からLPへ復刻され更にCDとして今も健在である。当時のSP盤の録音時間の制約によって、テンポ等で必ずしもヒッシュ氏の解釈の通りの録音ではなかったことを彼自身述べていた。

 かつてはこのように、バリトンによる演奏が主流であったが、シューベルトは「美しい水車屋の娘」も同様だが、テノールが歌う音域で作曲した。それを考えるとテノールによる演奏が、シューベルトの描いた「冬の旅」の姿とも言える。最近では、かなりテノールの演奏も頻繁に行われるようになっている。シューベルトの抒情的な悲しみが、みずみずしく表れた「冬の旅」に出会うことも多くなった。今では、かつてと言うことになるが、P.シュライヤーが初めて「冬の旅」を歌ったのが1985年だった。この曲の深く落ち着いた正確を歌うため、彼は当時、あえて50歳になるの待っていたと語っていた。しかし、その時も彼の声は十分に若々しく美しく、バリトンで歌う「冬の旅」と違った抒情的な演奏であった。それならば、もっと早くからシュライヤーの「冬の旅」聴きたかったと当時思った。

 最近のテノールの「冬の旅」では、I.ボストリッジの演奏が異色とも言える。非常にペシミスティックである。たとえば、有名な第5曲「菩提樹」の第2節の後半”友よ、私の所に来ないか、ここでお前は安らぎを見いだせる”と恰も死神が呼びかけているような、ぞっとする演奏もあった。

 女声歌手による演奏も近年は珍しくなくなった。古くは、L.レーマンなどのレコードなどまれに聴けたが、1970年代からC.ルードヴィヒ(Ms)やC.シェーファーなどリリック・ソプラノも歌うようになっている。21世紀に入り、あらゆるジャンルにおいても演奏のスタイルの変化があるように、ドイツ歌曲も演奏の変革が少しずつ見られる。それにしても、20世紀後半は、ドイツリート演奏においての黄金期であったことは間違いない。フィッシャー=ディースカウとピアノのG.ムーアの存在は、極めて大きかったと言える。 しかし、黄金期は終わったかもしれないが、歌曲の世界は永遠に途絶えることはないと確信している。


ンケン 音楽顧問
伊賀美 哲[いがみ さとる]
 
国立音楽大学声楽科卒業。波多野靖祐、飯山恵己子諸氏に師事。現在、田口宗明氏に師事。指揮法を故櫻井将喜氏に師事。1982年、第7回ウイーン国際夏季音楽ゼミナールでE.ヴェルバ、H.ツァデック両 教授の指導を受ける。1985年フィンランドのルオコラーティ夏季リート講座で、W.モーア、C.カーリー両教授の指導を受け、その後W・モーア教授にウ イーン、東京で指導を受ける。1986年から毎年、リートリサイタルを開催、シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しい水車小屋の娘」、「白鳥の歌」、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」等を歌う。千葉混声合唱団では、ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」、J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」「マタイ受難曲」などを指揮する。現在、千葉混声合唱団、かつらぎフィルハーモニー指揮者。